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この業界、二徹できなければ失格だ。と、隣の席の山本は言う。

ウェブ制作業界にあって、二徹くらいでガタガタ言っていてはいけない。もちろん山本は二徹くらい全くへっちゃらだ。

しかし僕はといえば、一日徹夜をしただけで次の日はもう使いものにならない。そういう僕を捕まえて、山本はいつもこうした苦言を呈した。

とはいえそんな山本だって、三徹すると、しまいには何を言っているのかさえ分からなくなる。多分、四徹は経験が無いはずだった。

派遣社員として、今の会社に入って半年の僕も、以前ゲーム制作会社に派遣された時、同じような体験をしている。

ゲーム制作の現場もデバックの繰り返しに、納期前は誰も寝られない状態が続く。

制作と名の付く多くの業界が、最後は徹夜頼みになってしまう。

徹夜の能力は、一体どのようにして生まれるのだろうかと時々不思議に感じる。

「ガムだよガム。
 ガム食べてれば
 眠気は吹っ飛ぶ」

山本は言うが、僕には全く効果がなかった。

さて、僕と山本の向かいに、田代の席がある。この田代は山本の上を行くつわものだ。

彼の体躯は僕と山本を足したくらいあり、いつも歌舞伎揚げをバリバリ食べ、彼が指示に来ると僕らのモニターはその油で指紋だらけになる。

うつろな目をしながら夜になればなるほど良くしゃべり、三徹でダウンする山本をよそに田代はまるで潰れる気配が無く、むしろ食欲が増すようで、普段は手を伸ばさない菓子パン類をやたら食べ始める。

しかしさすがの彼も四徹以上は無理だ。

いつだったか歌舞伎揚げの袋に手を入れたまま眠ってしまった田代を見た事がある。

田代のさらに向こうの席に、マモルという痩せっぽちの若者が居るが、こいつは四徹をこなせる。

彼と瓜二つの痩せっぽちで眼鏡をかけた同僚の武部は、五徹いける。
この事務所は繁華街の外れ、小さな雑居ビルの中にあって、さほど広くないフロアに四十人ほどの人間が働いている。

複数のプロジェクトが同時進行している関係上、常に誰かが徹夜していて、この会社の灯かりが落ちる日は月に数度しかない。

納期間際になると、全員倒れるまでがむしゃらに働き続け、誰が最後まで生き残るのかを競い合うかのようだった。

その頃になると眠らなかった者は、まるで勝者か勇者のように称えられたものだ。

そういう意味では、武部は凄い。

あの小さな体のどこにそんな徹夜の能力、パワーが隠されているのか不思議になる。

しかしながら今のところ一番の記録を誇るのは、武部ではない。

金本である。
金本氏は今年四十歳。
この会社で一番の年長者であるが、いつもは早く帰り遅くやって来る遅刻魔だ。

それでも許されているのには訳があって、彼が徹夜を始めると、とんでもないのだ。

聞いた話では、一昨年、年末一週間は寝ていなかったのだという。

本当なのだろうか?

人間そんなに寝ないで生きていくことができるのか?

金本氏のこの徹夜伝説は、伝聞でしか知られていない。

見た者が居ない以上、嘘かもしれない。

ただ三徹でも元気満々で、まったく衰弱すること無く仕事をこなし、笑顔を振りまき、みんなにあれやこれや面倒をさえ見る。

そんな姿を見ていると、一週間の徹夜もまんざら嘘ではない気がしてくる。

「でもな、俺なんか、
 まだまだだよ」

徹夜の全くだめな僕が、ひとつ指南してもらおうと金本氏に話を聞いていたところ、こう切り返されてしまった。

金本氏も、舌を巻く人間がいるのだという。

「あれこそが本当の
 ”徹夜番長”だよ」

「徹夜番長?」

「あいつは凄い。
 あいつのは
 徹夜なんて
 もんじゃない……。
 眠らない男だ」
何でも、ここ最近大きく業績を伸ばしている、とあるウェブ制作会社があり、そこに、その勢いを支える中心人物が存在するのだという。
その中心人物というのが、この「眠らない男」だった。

眠らないというのは比喩であるはずだが、金本氏によって事実のように語られていた。

その人物は、追い込み期になるとほぼ無制限に徹夜を続けることができ、その会社の急成長を支えているのだそうだ。

彼らの作ったウェブサイトも見せてもらった。
どれも驚きのある動きに溢れ、意表をつくデザインだった。

「こんなものは
 どう逆立ちしても
 俺らには作れない」

と金本氏は言う。

膨大な量のページ、構成力、アイデア、どれをとっても抜群であった。

そして奇麗に記述されたプログラム、ソースも秀逸だった。

しかも聞いた話によれば、納品までの時間が驚くほど早いのだという。

これではもう太刀打ちできない。

これほどのものを作る会社を支える人物とは一体、どんな奴なのだろう。

ディレクターなのか、デザイナーなのか、プログラマーなのか、とにかくこのスピードと制作能力とアイデアを誇るその会社の中で、眠らない徹夜番長は大きな推進力となっているようだ。


「薬を使ってるに
 違いない」

と山本は怪しむ。

「薬って……」

「眠らなくていい薬だよ」

ネットでは何でも売っている。そんなものもあるかもしれない。


僕はそれから数回派遣先が変わった。
この会社に行っても、眠らない徹夜番長の噂を聞いた。

ある会社で聞いた噂によれば、その正体は、
とある伝説的なデザイナーなのだという。

藤岡正志。

彼はそのデザインによって、かつて非常に有名なウェブデザイナーだった。

さる大手広告代理店で次々洗練されたデザインを手がけ、去年だか一昨年だか、徹夜明けの帰宅途中、バイク事故で亡くなった。

実はそいつが死んでいず、姿をくらましただけで、密かに新たな会社を作っているというのだ。

伝説的なデザイナーの死と、この眠らない男の伝説が融合し、都市伝説化していた。

噂は磁石のように、他の噂をくっつけあって、訳のわからないものに膨れ上がっていく。

僕も磁力にひかれ、寝ても覚めても無敵の徹夜番長のことが頭から離れなかった。


そんなある時……ついにその時が来た。

いずれはそういう時が来るかも知れない、そう思っていた。

僕は、「その会社」に派遣されることになったのだ。